nanana no diary

ナナナンと、息をするように、

軽井沢プリンスの沿革を調べていて気づいたこと

ひょんなことから軽井沢プリンスホテルの沿革を調べていて、少し面白い関係に気づいたので書いておきます。
以下、軽井沢プリンスホテルが開業に至る沿革ですが、

1919年(大正8年)- 根津嘉一郎別荘完成(あめりか屋)。
1937年(昭和12年)- 武蔵学園(財団法人根津育英会)青山寮落成(長野県軽井沢町矢ヶ崎)、1980年12月に廃止。
1949年(昭和24年)- 4月、根津嘉一郎別荘110万坪を買収
1950年(昭和25年)- 3月25日、晴山ホテル開業(旧根津嘉一郎別荘、83室)根津嘉一郎の「青山(せいざん)」が名前の由来。
1961年(昭和36年)- 1月7日、日本初の人工雪スキー場を開設(晴山ホテル敷地内、1964年まで営業)
1964年(昭和39年)- 10月15日、晴山ホテル、東京オリンピック馬術選手村に。
1968年(昭和43年)- 6月、晴山ホテルにコテージ12棟建設。
1970年(昭和45年)- 11月、国土計画かまど岩山荘完成(竹中工務店、269㎡)。
1973年(昭和48年)- 4月28日、軽井沢プリンスホテル開業(現イースト、黒川紀章設計(鹿島建設)72室)
軽井沢プリンスホテル - Wikipedia

この「1919年(大正8年)- 根津嘉一郎別荘完成」とある、『根津嘉一郎』なる人物

根津嘉一郎 (初代) - Wikipedia

こちらにあるように、1905年から東武鉄道の経営に参画し、他にも南海鉄道などの取締役を歴任された当時「鉄道王」と称された人物で、
且つ、その長男の藤太郎氏(のちに嘉一郎と改名)は1941年から1994年まで東武鉄道の社長を努められた東武鉄道の中興の祖とされる人物だそう

根津嘉一郎 (2代目) - Wikipedia

西武グループが開発した代表的リゾートであるところの軽井沢の中核となる軽井沢プリンスホテルが、元々は東武鉄道に所縁の人物からスタートしているという事実
完全に偶然なのでしょうが、なんとも因縁めいていて、興味深い事実です

ちなみに、二代目根津嘉一郎氏は南青山にある「根津美術館」の開館に携わり、自ら理事長・館長も努めた人物ということで
個人的にはこちらもまた興味深い発見なのでした

西武王国―堤一族の血と野望 (講談社文庫)

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