バッシングの先にあるもの……STAP細胞の問題に思うこと
理研や小保方さんへの世間の風当たりが激しさを増す今日この頃ですが、
個人的にはこのバッシングの嵐にむしろ危機感を覚えていて、私の感じていた危機感を読み解く手がかりになりそうなエントリを発見したので書き留めておきます
確かに論理的な破たんはあるが、科学におけるもう一つ大切なことを私たちは忘れている気がする。
それはIntuition(直観)と呼ばれるものだ。
(中略)
以前、科学論文には、Originality、Repeatability、Consistencyの3つが必要だと述べた。
それにもまして大切なことは、事実に対するIntuitionである。
私たちが向き合っている現代社会の多くの矛盾が、一人あなたに襲い掛かっている現実を座視することに私は耐えきれない。
科学とは本来、すべてのドグマや圧力から、自由でかつ夢があるものだと思うからである。
仮に問題となっている論文の修正や改竄が真実であったとして、
小保方さんの罪や理研の構造的な問題が問われることは必要だと思います
が、
この件によって、
- (おそらく優秀で且つ情熱ある)一人の研究者の未来、
- (もしかしたら可能性のある)STAP細胞の研究、
といった将来の可能性が再起不能なまでに叩きのめされてしまうのは如何ともしがたいと思うのです
一度の失敗、一度の罪(もちろん罪の程度にもよりますが)によって、
しかも過剰なマスコミの反応によって、
可能性の芽が摘まれてしまう事例……日本はあまりにこうしたことが繰り返されすぎていると感じています
罪は償われなければいけないと思いますし、それなりの代償を払うべきだとも思います
しかし行き過ぎたバッシングは、あるべき可能性を詰み、
そうした事例の積み重ねが社会を萎縮させていく……ということを我々はもっと自覚すべきだし、
マスコミには是非、自戒に自戒を重ねていただきたいものだと思うのです